底辺の日記

底辺が日常の何かを脈絡もなく書き散らかします。英語のお話、日本語のお話などなど

「勉強法」の落とし穴

f:id:reader-in-dawn:20180504195617p:plain

 

このブログを見てくださる超希少種の皆さんお久しぶりです、底辺です。

久しぶりにブログを書こうと思い立ったのは、友人がブログをはじめて結構頻繁に更新しているっていうのを聞いて何となく書きたいなーと思ったからなんですけど、そうなると次にしなきゃなのはテーマ探しですね。何を書こうか10分ぐらい寝転んで考えたんですけど、全然思いつかないので結局お勉強のお話です。

勉強法って結構話題に上がりますよね。〜したら偏差値が30上がったとか、〜日間で英語が話せるようになる方法とか。。世の中効率のいい勉強法を謳う書籍や記事で溢れかえってます。

でもどうなんでしょう。実際ああいうのをやって実力がついたっていう人あんまり周りにいません。それどころかあれはダメだった、今度はこっちをやってみようとばかりに勉強法をコロコロ変えてばかりいる人も少なくありません。その心理は、「あんなに実力のある人が、これをやれば簡単に実力を付けられると言っているんだから間違っている訳がない。」こんな感じでしょうか?でもよくよく考えてみると、当たり前ですけど実力のある方々(英語でも数学でもなんでも)はそれ相応の努力をしてるんですよね。30日で出来るって言ってる方々は大概30日どころか何年も何十年も研鑽を積んでいる人ばかりです。そんな凄い方々が膨大な労力を注いで手に入れた実力がそう簡単に身につくわけが無いんです。

 

ここまで読んで、効率のいい勉強法は存在するだろアホかこいつと思った方々はここで読むのをやめずにもう少しお付き合いください。

 

もちろん勉強法には効率の良し悪しがあるでしょうし、向き不向きもあるでしょう。その上で自分にあった勉強法を探すのは否定しませんし、それどころか是非やってください。ただ、巷に溢れているように、その方法でやれば劇的に変わるとか、短期間で身につけられるなどといった甘言に惑わされないようにしましょう。たとえ効率のいい勉強をしたとしても、勉強している時間に何倍もの差があれば実力で追いつくことはかなり難しいでしすし、「勉強」つまり新しいことを吸収し、その復習を欠かさないという基本が出来ていれば、質にそこまでの劇的な差が出ることはまれです。そうなれば、量が正義、がむしゃらにやったもん勝ちです。

 

ここまでは色々な分野に普遍的に言えそうなことを言ってきたのですが、やっぱり英語について語りたいので、例として英語を題材にしましょう。

 

英語は日本人にはコンプレックスを抱えている人が多いようで(かくいう筆者はまさに英語コンプレックスばりばりです)、参考書のたぐいが群を抜いて多く販売されています。「英語は10単語で話せる」,「10日で英語が話せる」のような本(タイトルは適当です。)も書店に行けば良く目にします。しかし、英語を使えるようになりたいなら、基本的な文法と語彙を抑えた上で、ひたすら読み、聞きましょう。(書くと話すを除いたのは、ある程度のインプットがなければ不可能だと個人的に考えるためです。)英語に関しては特に、勉強法などという幻想を追いかけるよりも、多くの英文に触れた方が圧倒的に強いようです。周りの本当に英語が出来る人たちを見てみましょう、常日頃からかなりの量の英語に触れていませんか?聞いてみましょう、「30日で話せるようになったんですか?」十中八九答えはnoです。

 

ここらでお腹が空いてきたのでおわりましょう。とにかく勉強法を探すのを勉強だと思ってはいけません。勉強法を確定したらそこから始まるのが勉強です。頑張りましょう。

 

 

 

 

 

 

この記事は筆者への自戒によって90%以上が構成されています。