底辺の日記

底辺が日常の何かを脈絡もなく書き散らかします。英語のお話、日本語のお話などなど

シモネタ概論(友人作)

  今回は、友人がブログのネタにしろとこのような長文を書いてくれたため、その熱意を無駄にするのも心苦しく、掲載する運びとなりました。ありがと某KO生。

 

  古来から、下ネタを嫌うなんとも悲しい人間が存在する。ぼくが自分の右曲がり包茎ちんぽについて語り出せば、きっと彼らは顔をしかめ、「気持ち悪い」だとか「なんだこのガイジは...」と思うことだろう。

  下ネタをいうことがそんなに悪いことなのか。ここでは公共の場で下ネタを言うことについて語っていこうと思う。

  突然だが、ぼくは所構わず下ネタを言う人間である。自分でも別にこれは悪いことではないと思っている。下ネタというのは、会話のきっかけにしやすい万能ツールである。

例1
A「あーうんこ行きてえなあ」

B「早く行ってこいよ」

C「ついでに俺も行く」

B「お前さっきうんこしただろ!」

C「実は俺便秘でさ〜(ここで自分の便秘が如何に辛いかを熱弁)」

  うんこと言えば、浪人中のぼくはトイレによく行ってました。別にうんこがしたかったわけじゃないんです。トイレ、特に個室の空間がぼくにとって何だかとても安心した気持ちになれる場所でした。

  浪人中、予備校で一切友達を作らなかったぼくは休み時間、ガヤガヤ煩い教室を出てトイレに駆け込み、そこで睡眠してました。トイレットペーパーホルダーに腕を置き、その上に頭を乗せる感じで寝ていたのです。いつしかぼくは授業にも出なくなり、代わりにトイレで過ごす時間が多くなりました。家で寝れば良いじゃないかと言われるかもしれませんが、寝ていると親に勉強しろと言われて叩き起こされるので、誰にも邪魔されず心から安心して寝られる場所はトイレぐらいしかなかったのです。

  講習がある日なんかは、朝9時ごろからトイレに入って、夜の9時に出るなんてこともざらにありました。ぼくは3階の一番奥のトイレをほぼ常に占拠していたので、誰かが来るとよく、「またあそこ閉まってるよ」「どうせすぐ出ないから違う階に行こう」
みたいな声が聞こえたものです。

  ただまあ、トイレ占拠民をぼくだけじゃなかったみたいで、ぼくの友人の一人に、「俺もよくトイレにいる」とか言ってるやつもいたし、そもそも本当にうんこしたい時に個室が全部閉まってて、そのまま休み時間が終わるまで誰も出てこない、なんてこともありましたね。

  トイレだけに糞みたいな思い出です。話を戻します。

例2
A「昨日5回もシコっちゃったよ」

B「オカズは?」

A「To Loveる

B「モモちゃんすこだw」

A「モモ嫌い美柑好き。(ここから美柑の魅力について語る)」

  可愛くないですか?ぼくは別にロリコンではないのですが、控えめなお胸が好きで巨乳が多いTo Loveるの中では美柑は僕にとってちょうど良い大きさなのです。

  まず王道の黒髪ロング。これだけでも相当ポイント高い。他の宇宙人とかピンク髪だし、ありえねーわ。

  そして妹キャラでもある。これは妹がいないぼくにとってある種の理想なんです。しかもこいつ小6のくせに高2の兄と風呂入るんだよ?どんな頭してんだ(褒め言葉)はああああああああああエッチすぎるよおおおおお
ピギィィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァアア!!!!!!!!!!!!!
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  少々取り乱してしまいました。話を戻します。

  さて、以上に示したのはほんの一例で下ネタというのは無限の会話の可能性を秘めています。会話になればそれでいいし、ならなくても別にいいのです。
  あなたが一言「おちんぽ。」と発言し、会話がなかったとしよう。この場合この「おちんぽ」という言葉にはどのような意味が込められているか。男性器?ペニス?ソーセージ?エクスカリバー? 

 

  ない。意味なんてないのだ。

 

  何も発言してないのと一緒。今のはナシ。何も起きてないこととして時間だけが進む。そして再び会話のチャンスが訪れれば、そこから話を膨らませていけばいい。

  つまり下ネタを使えばなんのリスクも無く、タダで会話のきっかけを作れるのだ。パズドラの無料ガチャみたいなもんである。(フェス限であれば普通に嬉しいし、銀卵でも「まあ、無料だしな」で済む)

  事実、ぼくの周りにはLINEで「うんち!」とか「ちんこ!」と一言だけ発言する輩がいる。これはある種の生存報告でもあるのだが、会話のきっかけを狙ったものでもある。
  「うんち!」に誰かが反応して、「そういえば俺今日さあ...」となったら、もうそれは会話の始まりである。(どうせくっだらねえ事しか言わんだろうが)
  しかし、誰も反応しなくてもそれはそれで良いのだ。

「ああ、今は皆忙しいのだな」

これだけで済む。

  また、下ネタによって引き起こされる笑いも、下ネタの意義の一つであろう。誰かがふと「うんち!」と言ったのを聞くだけで、何故だか笑いがこみ上げて来るというものだ。
  こうした下ネタによる笑いに関して三重大学が面白い研究結果をあげている。

  「(中略)以上のように、本研究の結果は、下品な笑いは 4歳 頃の子どもに最も多く見られ、5、6歳頃になると徐々 に沈静化していくという友定(193)の考察から得ら れた本研究の仮説をほぼ支持するものであった。こう した発達をたどる理由としては、友定(193)も指摘 するように、4歳頃になると友達を強く意識し、笑い 合う状況を作り出すことによって友達との間に親和的関係を築きたい、あるいは確認したいという、この時 期特有の発達要求が子どもの中で生じてくることと無 関係ではなかろう。友達と笑い合う状況を作り出した いものの、笑いをとるための知識も技術もまだ十分で はない 4歳児にとって、下品な笑いは手っ取り早く笑 いが取れる唯一の方法であり、ゆえにこの時期、こう した笑いが多く生じるようになるものと思われる。実 際、先述のような姿が 4、5歳の子どもにおいて多く 確認されるようになることは、先行研究でも確認され ている。例えば、西川(203)は、特に男児において、 4歳以前は自分のことを家でも外でも「〇〇ちゃん」「〇〇くん」と愛称で呼んでいた子どもが、4歳を過 ぎると家では愛称で呼ぶが、外では「オレ」というよ うに同年齢の仲間の前でいわば「勇ましい」姿を示す ようになることを明らかにしている。このことは、4 歳の彼らが友達を強く意識し、友達の前で自分がどの ように見えるかを強く意識し始めたことの証左に他な らない。また、友達との間に親和的関係を築き、確認 し合いたいという願いに関しては、中田(204)の研 究が挙げられる。彼は子どものじゃれる・じゃれ合う という行為に着目し、幼児期におけるその発生頻度を 観察した結果、特に 4歳児においてそうした行為が多 く見られることを報告している。このことは、友達と の間に親和的関係を築き、確認し合いたいと欲するも のの、それを実現するだけの知識も技術もまだ十分で はない彼らが、手っ取り早い方法としてじゃれる・じゃ れ合うという行為に頼っていると解釈することができ よう。そして、それは下ネタやギャグによる下品な笑 いに頼る姿と一致する姿である。」
参考文献:富田昌平、藤野和也「用事も下品な笑いの発達」(『三重大学教育学部研究紀要 第 67巻 教育科学 』2016)161- 167頁

  この研究は保育園の児童に対して「うんち」などの下ネタで笑うかといったことを親にアンケートをとり、さらに下品な笑いに対する親の態度を聞いたものである。
  やはり下ネタはまだまだ未熟な4、5歳児にとっても非常に扱いやすいコミュニケーションツールなのだ。

  ところで、会話で最も重要なのは「共感」である。
  「あーそれあるある!」「分かるわー」
こうした共感があれば会話は極めてスムーズに進む。自分の知っていることや興味のあることは頭に入りやすいし、理解もしやすいからだ。

  思えば、性器というのは人間なら誰しもがついているものであり、さらに排泄という行為も人間はおろか動物なら必ずする事である。
  これらは人類としての共通項であり、「共感」を重視する会話においてまさに格好の題材ではないか。やはり下ネタを会話のきっかけとすることは、自然の摂理なのだ。

下ネタ万能論ここに極まれり。

  一方で先程も言ったが、この万能な下ネタが通じない人間も存在する。(ポケモンで言えばドラゴン技が無効のフェアリータイプみたいなもんである。)

まあぶっちゃけ言うと女性、である。

彼女らに下ネタはまず通じないと思った方が良いだろう。もし言ってしまえば死んだも同然である。ドン引きされるのは間違いないし、多分女子の間でも噂になって、一生童貞でしかいられなくなるだろう。

  じゃあなぜ彼女らはそこまで下ネタを嫌うのか?ぼくは究極の答えを発見した。

 

 

それは、下ネタが下品で汚いからです。

読者「なんだこのクソ記事は!」
ぼく「うんち!」

おわり